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この春、中学校を卒業する鞘師里保が、問題用紙に向かい合っている。教室には担任教師であるぼくと彼女しかいなくて、やけに静かな3月だった。鞘師里保の表情は真剣そのもの。さすが現在ブレイク中のモーニング娘。'14のエースと言われる彼女だけあって、集中しているときの全身から発せられるオーラは尋常ではない。
と思っていたら、鞘師里保は、困った顔をして、次の瞬間くにゃりと机に突っ伏した。
「......おい......どうした、鞘師」
鞘師里保は顔を上げて、泣きそうな顔をしてぼくに訴える。
「せんせー! 全然分かりません! どうしよう!」
ぼくはわざとらしく、ため息をつく。忙しい彼女のために、用意した最後の補修の授業。そしてこれが、たぶんぼくと鞘師里保の、最後の授業になるだろう。
「はいはい、泣かない泣かない。ちゃんと分かるまで教えるから。で、どこが分からないんだ?」
と言って、ぼくは鞘師里保が書きかけた問題用紙を眺める。ふむふむ。努力家の彼女だけあって、途中まではちゃんと出来ている。最後にちょっとしたヒントをあげれば答えまではあと少しだ......と、ふと用紙の端に目をやり、ぼくの動きが止まった。何てことだ。こんなものを、見てしまうなんて。
鞘師里保は不思議そうにぼくの顔を見上げる。
「先生、どうしたんですか?」
ぼくは焦っていた。大事件が起こっていた。
テスト用紙の端に、相合傘が書かれていた。片方には、鞘師里保という名前が。そしてもう片方は、空白だった。
信じたくない。だが、これが現実だ。鞘師里保は、誰かに恋をしている。
(※注)
本記事は個人の妄想を勝手に書き連ねたものであり、以下の写真は本文の内容とは一切関係ありません。
もう、問題の解き方を教えている場合ではなかった。それ以上に大きな問題が降り掛かってきてしまったからだ。アイドルと恋愛。いつの時代もファンと関係者を悩ませる、永遠に解けない問題である。
もちろん気持ちは分かる。多感な時期だ。恋だってしたいだろう。だけど、せめてもうちょっと、何とかならないだろうか。道重さゆみをリーダーに据えて、全員の個性が輝いている、何度目かの黄金時代。いま、鞘師里保に、恋愛をさせるわけにはいかない。
「あの、先生、さっきから顔が怖いんですけど......」
ぼくは覚悟を決めて、鞘師里保に語りかける。
「なあ、鞘師。気持ちは分かるよ。でも今、大事な時期だろう? 2014年。『勝負の年だぞ』って自分でも言ってたじゃないか。だから、ほら、もうちょっとだけさ」
「あの先生、言ってる意味が分からないんですが......。授業はもういいんですか?」
「これは、授業より大事なことだろ、鞘師。おとといも、コンピレーションアルバム『モーニング娘。'14カップリングコレクション2』が発売されたばっかりじゃないか。ジャケットも、レスリー・キーさんが撮影してくれたんだろ? 今この時期に、そういうのは......」
「ちょっと、いいかげんにしてください、先生! さっきから何言ってるんですか?」
鞘師里保が、ちょっと怒っている。怒っているのに可愛い。って、そんなこと言ってる場合じゃない。怒りたいのは先生のほうだ。ぼくはあきらめて、核心に迫る。
「ああ、分かったよ! じゃあ聞くよ。鞘師里保、この相合傘は何だ? この空白のところに、誰の名前を入れるつもりなんだ!?」
鞘師里保は不意を突かれ、驚いた顔をしている。そして観念したように、小さな声で、語り出す。
「先生、見ちゃったんですね......。私、迷ってるんです。誰を選べば良いのか、分からなくて......」
あまりにもショックで、声も出なかった。何人かいるのか。相手候補が。そんなそぶり、ちっとも見せてなかったじゃないか。鞘師里保が、そんなに恋多き女だったなんて!
「みんな魅力的だから、一人に選べなくて......。カッコいい人もいれば、包容力のある人もいるし......。ハァー。毎日、悩んでるんですよねぇ......」
何てことだ。もうこれ以上、鞘師里保の告白を聞いていられるほど、ぼくは強くない。分かった。もう良い。取りあえず、一つだけ確認しておきたい。
「じゃあ、聞かせてくれ、鞘師。現状、一番の有力な候補っていうのは、誰なんだ?」
鞘師里保は目をつぶって、うーむ、と悩んでいる。悩んでいる顔も可愛い。って、そんなこと言ってる場合じゃない。
そして鞘師里保は、目を開けて、こう答えた。
「......やっぱり、道重さゆみさんですかね......」
まったく想像していない名前だった。だけどよくよく考えれば、こんな問題、解けて当たり前のはずだったのに。鞘師里保はモーニング娘。'14のメンバーなのだ。人間として誰よりも素敵な先輩と同期と後輩に囲まれている、そういう日々を送っている女の子なのだった。
鞘師里保の告白は続いている。
「道重さゆみさんは、すごく私のこと好きって言ってくれるし、私も好きだし。でも、鈴木香音ちゃんも、一緒にいて楽しいし。飯窪春菜ちゃんのスタイルも憧れるし、小田さくらちゃんの歌もカッコいいし。もう、誰か一人なんて、選べませんよ!」
鞘師里保は、一人ずつ、メンバーの魅力を挙げていく。その表情は本当に嬉しそうで、誇らし気で、ファン冥利につきるとはこのことだ。まったく。心配かけやがって。だけど君が、ぼくの生徒で本当に良かったよ。
ただ、一応、本当に一応、念のための確認として、ひとつだけ聞いてみた。
「なあ、鞘師。ちなみにだけど、その空白に、先生の名前が入る可能性とかは考えなかった? 先生のことが好き、とか、そういうのはなかったかな?」
ん?と、怪訝そうな顔をする鞘師里保。そして彼女はニコッと天使のような顔で笑って、ぼくに答える。
「モーニング娘。'14を応援してくれてる人のことは、みんな、だーい好きですよ!」
考えられる限り、これが最高の答えだった。エースでセンター。これが鞘師里保だ。引っぱれ。サヤシ。未来はもう、君のものだ。
(相沢直)
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