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【インタビュー】ハワード・ブルックナーの『バロウズ』再販プロジェクトが始動

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1989年に映画監督ハワード・ブルックナーはエイズでこの世を去った。34歳という若さだったが、1989年の『ワンナイト・オブ・ブロードウェイ』『Robert Wilson and the Civil Wars』 (1987年)、そして1983年の『バロウズ』などを含む3本の名作を残している。

この『バロウズ』は絶版となって20年が経つが、この度ハワードの甥であるアーロン・ブルックナーが再販に向けて動き出した。アーロンは既に資金集めのサイトKickstarterで再販に向けてのプロジェクトをスタートさせており、また今月11日にはロンドンで上映会が行われる。アーロンにハワードについて話を聞いた。



ハワードの映画からはどのような影響を受けて育ちましたか?

僕にとって素晴らしい父親のような存在でした。彼の近所で育ったので、彼が日本に行った時にはおもちゃをお土産に買ってきてもらったり、映画で使っていたカメラも見せてもらったりしていました。ニューヨークで『ワンナイト・オブ・ブロードウェイ』の撮影が行われていた時には、学校の帰り道に彼の撮影現場に立ち寄っていましたし、87年には学校を1日休んで、ニュージャージーの撮影現場に連れて行ってもらったこともありました。そこではマドンナの隣に座らせてもらったんです。マドンナは僕の目が好きだなんて言ってくれました。そして彼女とランディ・クエイドのシーンの撮影が始まると、ハワードは僕を膝の上に乗せて見せてくれました。凄く鮮明に覚えていますよ。

ハワードと他のアーティストたちの交友関係を見出したのはいつのことですか?

幼い頃にルー・リードの「タイムロッカー」を見て、演出家のロバート・ウィルソンのことを知りました。その後ジム・ジャームッシュにのめり込んだのですが、その時にハワードが彼の友人だったことを知りました。高校と大学を通じて様々な形でハワードのことを知っていきましたよ。

ハワードはエイズで亡くなりましたが、家族はどのように彼の死を受け入れたのでしょうか?

私の家族とハワードのパートナーは死後10年ショック状態でした。当時のニューヨークで起きていたこと全てを受け入れるのは簡単ではありませんよね。911以前のニューヨークはカウンターカルチャーの街でしたからね。でも今の人々はそういった時代を以前よりも受け入れ始めていると思いますよ。当時はキース・ヘリングやロバート・メイプルソープなどがいて、ハワードもあと少しでブレイクする所まで来ていましたが、残念ながらエイズで亡くなってしまいました。

エイズで失われてしまった当時のアーティストの作品は多いと思います。ハワードの場合は家族や友人が助けてくれたのでラッキーでしたが、孤独な人たちもいました。彼らは孤独に死んでいったので、作品がどうなったのかは誰にもわかりません。とにかくハワードの作品全てを辿っていくのは大変でした。

どのように彼の作品を集めたのでしょうか?

作品は様々な場所に散らばっていたため、手がかりを元に辿って行きました。沢山の親戚の家に点在していました。宝探しとまでは言いませんが、何かを見つけるとそれが次に繋がっていくというような感じでしたね。

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